教皇ベネディクト16世 「人権には当然、宗教の自由が含まれなければならない。それは、個人的でありながら共同体的でもある次元の表現として理解されるべきものである。この視点は、人間の統一性を浮かび上がらせつつ、市民としての次元と信仰者としての次元とを明確に区別する」
教皇ベネディクト16世 「同性愛者の特定の傾向それ自体は罪ではないが、それは多かれ少なかれ本来的に道徳的悪へと向かう傾向であり、そのためこの傾向自体は客観的に秩序を欠いたものと見なされなければならない」
教皇ベネディクト16世 「私は辞任の文書を書いた。正確にいつかは言えないが、せいぜい二週間前であった。その文書をラテン語で書いたのは、これほど重要なことはラテン語で行うべきだからである。さらに、ラテン語は私がより適切に書ける言語でもある」
教皇ベネディクト16世 「神が男と女を一つにするために創造されたことは本質的であり、それは聖書の最初の章に記されている。したがって、たとえ私たちの文化が、人間関係、すなわち男女関係の本質的な形としての結婚に反しているとしても、私たちの本性は常に存在しており、それを理解しようとすれ...
教皇ベネディクト16世 「芸術は根源的なものである。科学において表現される理性だけでは、人間にとって現実への完全な答えとはなり得ないし、人間が表現できるもの、表現したいもの、表現しなければならないものすべてを語ることはできない。神はこれを人間の中に備えられたのだと思う。芸術は科学...
教皇ベネディクト16世 「私たち皆が参加すべき典礼における真の『行為』は、神ご自身の行為である。これこそがキリスト教の典礼における新しく、そして独自な点である。神ご自身が行動し、本質的なことをなさるのである」
教皇ベネディクト16世 「何よりもまず、苦しみを抱え、正しい生き方を見出そうとするこれらの人々に対して大きな敬意を払わなければならない。一方で、同性愛者の結婚という一種の法的形態を作り出すことは、実際にはこれらの人々を助けることにはならない」
教皇ベネディクト16世 「私たちを導き、真理と善へと引き寄せる裁き主なる神の御前において、これは大きな責任である。この意味において、教会は悪を暴き、神の善を現し、神の真理を現すこと、そして私たちが渇き求める真に無限なるものを現すことをしなければならない」
教皇ベネディクト16世 「『解放の神学』という用語が、非常に肯定的な意味で解釈できるとしても、私たちにどれほど役立つかは分からない。重要なのは、教会が根本的に寄与する共通の理性であり、それは常に、公的生活と私的生活の双方における良心の形成を助けなければならない」
教皇ベネディクト16世 「私は『私』と『私たち』の両方を用いる。なぜなら多くの事柄において、私は単にヨーゼフ・ラツィンガーに思い浮かんだ考えを表しているのではなく、教会の交わりの共同生活から語っているからである」
教皇ベネディクト16世 「私は、自分が成すべきことをすべて自力ではできないと悟った。そこで、ほとんど必然的に自らを神の御手に委ね、イエスに信頼するしかなかった。彼についての本を書いている間、私は古く深い友情によって彼と結ばれていると感じた」
教皇ベネディクト16世 「実際、私はむしろ教授であり、霊的な問題について思索し、仲介する者である。実務的な統治は私の得意とするところではなく、これは確かに弱点である。しかし私は自分を失敗者だとは思っていない。8年間、私は自分の務めを果たした」