教皇ベネディクト16世 「今日、私には、倫理は経済に外在するものではなく、技術的な事柄として経済がそれ自体で機能し得るものでもないことが明らかに思える。むしろ倫理は経済そのものの内的原理であり、連帯と相互責任という人間的価値を考慮しなければ経済は機能しない」
教皇ベネディクト16世 「私には、政治や経済の領域でさえも道徳的責任を必要としていることを再発見することが必要に思える。そしてそのための力は存在している。この責任は人間の心に生まれるものであり、最終的には神の現存の有無に関わっている」
教皇ベネディクト16世 「私はもはや教会を治める権能を職務として振るうことはない。しかし祈りの奉仕において、いわば聖ペトロの領域の中に留まり続ける。教皇として私がその名を担った聖ベネディクトは、この点で私にとって大いなる模範である。彼は、能動的であれ受動的であれ、神の業に全く属す...
教皇ベネディクト16世 「20世紀、ドイツとヨーロッパの歴史における最も暗い時代に、ネオ異教主義から生まれた狂気の人種差別的イデオロギーが、ヨーロッパのユダヤ人を絶滅させようとする体制による計画的かつ体系的な試みに至った。その結果は、歴史にショアー(ホロコースト)として刻まれてい...
教皇ベネディクト16世 「教会の信条に基づいた明確な信仰を持つことは、今日ではしばしば原理主義と呼ばれる。一方で、あらゆる教えの風に翻弄され流される相対主義こそが、現代の基準において唯一受け入れられる態度のように見える」
教皇ベネディクト16世 「支配的な考え方は、教会は法の教会ではなく愛の教会であるべきであり、罰してはならないというものであった。こうして、罰が愛の行為となり得るという意識は消滅した。このことは、非常に善良な人々の間にさえ、奇妙な心の暗さをもたらした」
教皇ベネディクト16世 「私にとって、司祭たちと共にいることは大きな喜びである。結局のところ、ローマの司教はすべての司祭の司教であり、兄弟である。その務めは、兄弟たちを信仰において堅固にすることである」
教皇ベネディクト16世 「十字架は、言葉によるのではなく、極めて根源的な行為によって私たちの存在を承認するものである。それは神が肉となり、この肉が深く貫かれるほどに徹底された行為であり、神にとっては御子が受肉し死に至るに値するものであった」
教皇ベネディクト16世 「教会は常にヨーロッパ生活の古い伝統的構造をさらに放棄しつつあり、そのために姿を変え、自らの内部で新しい形を生きていることは明らかである。最も明白なのは、ヨーロッパにおける脱キリスト教化が進行しており、社会の構造からキリスト教的要素がますます消えつつあると...
教皇ベネディクト16世 「私たちは、苦しみを抱え、正しい生き方を見出そうとするこれらの人々に対して、大いなる尊敬を払わなければならない。しかし一方で、同性愛婚のような法的形態を作り出すことは、実際にはこれらの人々を助けることにはならない」