「もし明日、私の世界が崩れ去ったとしても、私はこれまでに運よく味わうことができた喜びや興奮、価値ある経験を振り返るでしょう。悲しみや、流産や、父が家を出て行ったことではなく、その他すべての喜びを。そうであれば、十分だったと思えるのです」

オードリー・ヘプバーンの名言
オードリー・ヘプバーンの名言
  • 1929年5月4日~1993年1月20日
  • ベルギー出身
  • 女優、人道活動家、ファッションアイコン
  • 『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を受賞し、その気品ある美しさと演技で世界的な人気を博した。晩年はユニセフ親善大使として世界各地の子どもたちを支援し、映画界と人道活動の両面で深い影響を残した。

英文

“If my world were to cave in tomorrow, I would look back on all the pleasures, excitements and worthwhilenesses I have been lucky enough to have had. Not the sadness, not my miscarriages or my father leaving home, but the joy of everything else. It will have been enough.”

日本語訳

「もし明日、私の世界が崩れ去ったとしても、私はこれまでに運よく味わうことができた喜びや興奮、価値ある経験を振り返るでしょう。悲しみや、流産や、父が家を出て行ったことではなく、その他すべての喜びを。そうであれば、十分だったと思えるのです」

解説

この名言は、人生における満足と感謝の感情が、苦しみを超える力を持つことを物語っている。オードリー・ヘプバーンは、若い頃に家族の離別や戦争の影響、流産などの辛い出来事を経験しているが、それにもかかわらず、人生の美しさや喜びに目を向ける姿勢を崩さなかった。ここでの「それで十分だった」という一言には、自己の人生を受け入れ、肯定する深い内省と達観が込められている。

彼女は決して現実から目を背けていたわけではない。むしろ、悲しみを知っているからこそ、喜びの価値をより強く感じていた。人生の終わりを想像したときに、自分が見つめたいのは「傷」ではなく「光」であるという選択は、生き方そのものに希望と品格をもたらしている。それは、過去に何があったとしても、心の中にある「選び取る視点」が人生を形づくるという信念の表れでもある。

この名言は、現代に生きる私たちにも重要な視点を与える。完璧ではない人生に対して、何を記憶に残し、何を手放すかという心の態度が、幸福感を左右する。すべてを手に入れる必要はない、ただ「十分だった」と言える瞬間を大切に生きることが本当の豊かさである──この言葉は、そんな静かな真実を私たちに教えてくれる。

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