「魂が存在しなければ時間も存在しないのかどうかは、正当に問うことのできる問題である。というのも、数える者がいなければ、数えられるものも存在し得ず、したがって明らかに数も存在し得ないからである。数とは、すでに数えられたものか、あるいは数えうるものだからである」

- 紀元前384年~紀元前322年
- 古代ギリシャのマケドニア出身
- 哲学者、科学者、学園「リュケイオン」設立者
英文
“Whether if soul did not exist time would exist or not, is a question that may fairly be asked; for if there cannot be someone to count there cannot be anything that can be counted, so that evidently there cannot be number; for number is either what has been, or what can be, counted.”
日本語訳
「魂が存在しなければ時間も存在しないのかどうかは、正当に問うことのできる問題である。というのも、数える者がいなければ、数えられるものも存在し得ず、したがって明らかに数も存在し得ないからである。数とは、すでに数えられたものか、あるいは数えうるものだからである」
解説
この名言はアリストテレスの『自然学』における時間論の一節であり、時間の存在が魂、すなわち知覚主体に依存しているかどうかという形而上学的問題を提起している。彼は時間を「運動の数としての観念的区分」と捉え、時間は単なる物理的現象ではなく、意識が介在する抽象的な構成物であると考えた。
ここでは「数える者」がいなければ「数」そのものが成り立たないという論理により、時間という連続的な流れもまた認識作用を持つ魂の存在を前提としていることが示唆されている。アリストテレスにとって、時間とは自然界における変化を魂が計測することによって初めて成立するものであり、観察者の存在なくしては意味を持たない概念とされる。
この考えは、近代以降の主観時間論や認知科学に先駆ける深い洞察であり、現代の哲学や物理学でも議論される問題に通じている。たとえば、時間とは人間の意識が作り出す構造なのか、それとも外的現実に独立して存在するものなのかという問いは、今なお決着を見ていない。この名言は、人間の精神と宇宙的な秩序との関係を根本から問う、哲学的思索の好例である。
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