「いつもの私を知っている人たちに、もうひとつの面――もっと良くて繊細な面があることを知られるのが怖いのです。きっと笑われて、ばかげていて感傷的だと思われて、真剣に受け止めてもらえない気がするからです。真剣に受け取ってもらえないことには慣れていますが、それに慣れているのは“陽気なアンネ”だけであって、“内面のアンネ”はあまりにも弱いのです」

- 1929年6月12日~1945年2月頃
- ドイツ出身(後にオランダに亡命)
- 日記作家、ホロコースト犠牲者
英文
“I’m afraid that people who know me as I usually am will discover I have another side, a better and finer side. I’m afraid they’ll mock me, think I’m ridiculous and sentimental and not take me seriously. I’m used to not being taken seriously, but only the ‘light-hearted’ Anne is used to it and can put up with it; the ‘deeper’ Anne is too weak.”
日本語訳
「いつもの私を知っている人たちに、もうひとつの面――もっと良くて繊細な面があることを知られるのが怖いのです。きっと笑われて、ばかげていて感傷的だと思われて、真剣に受け止めてもらえない気がするからです。真剣に受け取ってもらえないことには慣れていますが、それに慣れているのは“陽気なアンネ”だけであって、“内面のアンネ”はあまりにも弱いのです」
解説
この言葉は、多面的な自己とその脆さへの深い洞察を語っている。アンネ・フランクは、自分の中に存在する「軽やかなアンネ」と「深いアンネ」という対照的な人格の両立と対立を強く意識していた。外向的で明るく振る舞うことで社会に適応してきたが、その裏には繊細で思索的なもう一人の自分が存在しているという、強い自己認識が見て取れる。
彼女が恐れていたのは、本当の自分が明るく表面的な印象に覆い隠され、その内面をさらけ出したときに拒絶されることである。「the ‘deeper’ Anne is too weak」という表現は、傷つきやすい本質を他人に見せることの怖さと、それを守るために演じているもう一人の自分の存在を如実に示している。この葛藤は、思春期の少女としてだけでなく、人間一般に通じる普遍的な感情である。
現代でも、人は他人に見せる自分と本当の自分との間で葛藤する。SNSなどで「見られる自己」がますます強調される中で、内なる自分の価値を信じることの難しさと、それを見せる勇気の尊さを、この名言は鋭く浮き彫りにしている。本当の自分を受け入れ、さらけ出すことの強さと痛みが、この一文には静かに、しかし深く刻まれている。
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