「そう、『ドリアン・グレイ』には恐ろしい教訓が含まれている。それは好奇心旺盛な者には見つけられず、健全な心を持つ者にのみ明らかになる教訓だ。これは芸術的な過ちだろうか?残念ながら、そうかもしれない。本書における唯一の過ちである」
- 1854年10月16日~1900年11月30日
- アイルランド出身
- 作家、詩人、劇作家
- 『ドリアン・グレイの肖像』『真面目が肝心』『サロメ』などの小説、戯曲、詩を執筆し、ウィットに富んだ社会批評とユーモアを通じて、19世紀後半のイギリス文学に大きな影響を与えた
英文
“Yes, there is a terrible moral in ‘Dorian Gray’ – a moral which the prurient will not be able to find in it, but it will be revealed to all whose minds are healthy. Is this an artistic error? I fear it is. It is the only error in the book.”
日本語訳
「そう、『ドリアン・グレイ』には恐ろしい教訓が含まれている。それは好奇心旺盛な者には見つけられず、健全な心を持つ者にのみ明らかになる教訓だ。これは芸術的な過ちだろうか?残念ながら、そうかもしれない。本書における唯一の過ちである」
解説
オスカー・ワイルドはこの名言で、自らの小説『ドリアン・グレイの肖像』に込められた教訓と、それが芸術作品において望ましいのかについての自己批評を述べている。ワイルドは、物語に道徳的なメッセージが含まれることが「芸術的な過ち」ではないかと考え、純粋に芸術として楽しむべきものに道徳が含まれることに対して疑問を呈している。この皮肉な表現には、道徳的なテーマがあることで作品の純粋な芸術性が損なわれているのではないかという自己反省と同時に、その道徳が健康的な心を持つ読者にのみ明らかにされることへの信念が含まれている。
この名言は、現代においても芸術における道徳とメッセージの役割について考えさせる。芸術作品には、しばしば作者の意図や道徳的なメッセージが込められるが、そのメッセージが作品の芸術性を損なうかどうかは議論の余地がある。芸術は必ずしも道徳や教訓を伝えるためのものではなく、美しさや感動、または批判的思考を引き起こすためのものであるという見解もある。ワイルドの言葉は、芸術が教訓を伝えるものであるべきか、あるいは鑑賞者が自由に解釈すべきものであるべきかという議論を喚起している。
また、この名言は、読者の視点と作品の解釈についても触れている。ワイルドは、『ドリアン・グレイ』に含まれる教訓が「健全な心を持つ者」にのみ明らかになると述べており、読者の精神状態や視点によって作品の解釈が異なることを示唆している。これは、芸術作品が一つの解釈に固定されるべきではなく、多様な視点から自由に解釈されるべきであるという考え方を反映している。ワイルドはこの言葉を通じて、芸術作品に対して道徳的な意味を読み取ることの難しさと、その一方で作品が持つ奥深さを示している。この名言は、芸術と道徳の関係、そして作品が持つ多面的な解釈についての深い洞察を提供している。
感想はコメント欄へ
この名言に触れて、あなたの感想や名言に関する話などを是非コメント欄に書いてみませんか?