「ドラマは完全な詩である。頌歌や叙事詩はその萌芽を含むに過ぎないが、ドラマはそれらを高度に発展させ、両者の本質を要約している」
- 1802年2月26日~1885年5月22日
- フランス出身
- 作家、詩人、劇作家
- 『レ・ミゼラブル』『ノートル=ダム・ド・パリ』などの小説や詩を執筆し、フランス・ロマン主義文学を代表する存在であり、世界的な影響を与えた
英文
“The drama is complete poetry. The ode and the epic contain it only in germ; it contains both of them in a state of high development, and epitomizes both.”
日本語訳
「ドラマは完全な詩である。頌歌や叙事詩はその萌芽を含むに過ぎないが、ドラマはそれらを高度に発展させ、両者の本質を要約している」
解説
この名言は、ドラマ(劇)が詩的表現の最高形態であり、他の詩のジャンルが持つ要素を包括しているとユゴーが考えていることを表している。 ヴィクトル・ユゴーは、頌歌や叙事詩などの形式がそれぞれ詩的な美しさを持っているものの、ドラマこそがこれらの要素を一つにまとめ、より豊かで総合的な表現を可能にすると考えている。頌歌は情熱的で高揚した感情を、叙事詩は物語と英雄の行動を中心に据えた形式だが、ドラマは人間の感情や葛藤、行動をすべて取り込み、物語や感情の複雑さを包括的に描くことができる。ユゴーは、ドラマが詩としての要素を極限まで発展させた形であり、他の詩の形式が持つ特質を含んでいると考えている。
ユゴーの視点は、ドラマが詩の中でも特に豊かな表現力を持ち、人間の本質を描く最も完全な形態であるという認識に基づいている。 頌歌や叙事詩が持つ要素は限定的であるのに対し、ドラマは物語性、情緒、対話、行動といった多面的な要素を統合しているため、より深い人間理解や多様な感情表現が可能である。例えば、シェイクスピアの作品のように、ドラマは人間の内面の葛藤、悲劇、愛、憎しみなど、さまざまな感情を詩的に描き出すことができる。ユゴーは、こうした要素が揃ったドラマこそが詩の最も高次な発展形であると考えている。
この名言は、現代においても詩や文学のジャンルにおける表現の深さと幅広さについての示唆を提供している。 ドラマは詩的な要素と物語性を融合させ、幅広い感情やテーマを描く力を持つため、観客や読者に深い印象を与えることができる。ユゴーの言葉は、文学の形式としてのドラマの力と、さまざまな詩的な要素が一体となることで生まれる完全な表現の意義を再認識させてくれるものである。
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