「誰も不快にさせたくない、誰にも害を与えたくないという願望は、公正さの表れであると同時に、不安な気質の表れでもある」
- 1844年10月15日~1900年8月25日
- ドイツ出身
- 思想家、哲学者、詩人、古典文献学者
- 『ツァラトゥストラはこう語った』『善悪の彼岸』『道徳の系譜』などの著作で、従来の道徳や宗教、真理に疑問を投げかけ、現代哲学に多大な影響を与えた
英文
“The desire to annoy no one, to harm no one, can equally well be the sign of a just as of an anxious disposition.”
日本語訳
「誰も不快にさせたくない、誰にも害を与えたくないという願望は、公正さの表れであると同時に、不安な気質の表れでもある」
解説
ニーチェは、他人に害を与えたくない、誰も不快にさせたくないという望みが、単に公正な心の現れだけではなく、不安や心配性の表れでもある可能性を示唆している。この意識が高潔で公正な態度からくるものであれば、それは他者への配慮や誠実さの証といえるが、一方で、他者からの評価や反応に対する過剰な不安や恐れから来ている場合もある。つまり、こうした行動の動機は純粋な善意と自己防衛の両面を持ち、表面的には同じように見えても、その背後にある心理は異なる可能性がある。
この言葉は、表面的に「良い」行動や態度であっても、その動機が必ずしもポジティブなものであるとは限らないという洞察を示している。たとえば、他者に迷惑をかけないよう努める人の中には、他者への配慮や道徳的な責任感から行動する人もいれば、自己防衛や他人に対する過剰な気遣いから行動する人もいる。前者は他者への思いやりから来ているが、後者は批判や拒絶に対する恐れや不安から来ていると考えられる。ニーチェは、こうした二重の動機に気づくことで、自分の行動が本当に「正義」から来ているのか、それとも「不安」から来ているのかを見極めるよう促している。
ニーチェのこの言葉は、他者に害を与えない行動の背後にある動機を見つめ直すことの重要性を教えている。私たちが「正義」や「公正」として行っている行動が、実際には他者の反応に対する不安や自己保身の表れであるかもしれない。ニーチェは、こうした動機を自覚することで、自分の行動が本当に道徳的であるのか、それとも単に安心感を求めているのかを理解し、真の公正さと向き合うことを勧めている。
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