「私はアフリカや世界の大部分を占領した植民地主義に対して強硬派であった。我々は武装闘争を行っており、それゆえに強くあらねばならなかった。しかし今では、誰も武器を求めず、経済援助を求めるようになった。それが立場を変えるのだ」

- 1942年6月7日~2011年10月20日(69歳没)
- リビア出身
- 軍人、政治家、革命指導者、リビア国家元首
英文
”I was a hardliner with regard to colonialism, which had occupied Africa and large parts of the world. We were waging an armed struggle, and therefore, one had to be strong. But now, no one asks for weapons but for economic aid, which changes your position.”
日本語訳
「私はアフリカや世界の大部分を占領した植民地主義に対して強硬派であった。我々は武装闘争を行っており、それゆえに強くあらねばならなかった。しかし今では、誰も武器を求めず、経済援助を求めるようになった。それが立場を変えるのだ」
解説
この言葉は、アフリカ独立運動の歴史的変化を踏まえている。カッザーフィーは若き日に反植民地主義を掲げ、武装闘争こそが独立を勝ち取る唯一の手段と信じていた。そのため彼の姿勢は強硬であり、実際にリビアの政治路線にも軍事的要素が色濃く反映された。しかし時代が進み、植民地主義が衰退すると、闘争の形は武力から経済支援や開発援助へと移行していった。
この発言の核心は、時代の変化に伴う闘争手段の変容にある。かつては解放の象徴が銃であったが、今やそれは投資やインフラ整備に取って代わられている。経済援助が求められる現代では、指導者の姿勢も「軍事的強さ」から「経済的基盤の確立」へと転換せざるを得ないことを示している。これは国際社会においても普遍的な傾向であり、冷戦後の世界秩序の中で多くの国が歩んできた道でもある。
現代的な視点から見れば、この言葉は権力の源泉が武力から経済力へと移り変わった現実を反映している。例えば、アフリカ諸国が国際社会において存在感を高める際、軍事力よりも天然資源や市場としての重要性が注目されることが多い。したがって、この発言は単なる過去の回顧ではなく、国家戦略における武力と経済の比重の変化を的確に表したものである。
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