「子どもの頃、祖母は世俗的な音楽を家の中に持ち込むことを望みませんでした。けれどもカリフォルニアに出てから、私はスペイン音楽、主にメキシコ音楽を聴き始めました。そしてもし私がエジプトにいたならその土地の人々の音楽を、イタリアにいたならイタリア音楽を聴いたでしょう」

- 1928年4月4日~2014年5月28日(86歳没)
- アメリカ合衆国出身
- 詩人、作家、歌手、舞台俳優、公民権運動活動家
英文
”Growing up, my grandmother did not want worldly music in the house. Then when I went out to California, I started listening to Spanish music, mostly Mexican music. But were I in Egypt, I would listen to the music of the people, or if I was in Italy, I’d listen to Italian music.”
日本語訳
「子どもの頃、祖母は世俗的な音楽を家の中に持ち込むことを望みませんでした。けれどもカリフォルニアに出てから、私はスペイン音楽、主にメキシコ音楽を聴き始めました。そしてもし私がエジプトにいたならその土地の人々の音楽を、イタリアにいたならイタリア音楽を聴いたでしょう」
解説
この言葉は、文化や土地ごとの音楽を尊重し、それを通じて人々を理解しようとする姿勢を表している。幼少期には制限があったものの、成長してからアンジェロウは各地の音楽を積極的に受け入れ、その土地の人々の心に触れようとした。音楽は単なる娯楽ではなく、人々の歴史や生活、感情を映し出す文化的表現であるという認識が示されている。
アンジェロウは詩人であると同時に歌手やダンサーとしても活動した経験を持つ。そのため、異なる文化の音楽に触れることは彼女にとって自然な行為であり、創作の刺激にもなった。つまり、音楽は言葉を超えて人間の共通性を感じさせる架け橋であったのだ。
現代においても、この名言は大きな意味を持つ。グローバル化が進む中で、異文化の音楽を楽しむことは世界を理解する一つの手段である。したがってこの言葉は、音楽を通じて他者を尊重し、世界とつながる姿勢の重要性を伝えているのである。
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