「私は信心深い女性です。そして自分には責任があると感じています。私はまったく謙遜を持っていません。むしろ謙遜を恐れているのです――それは後から学んで身につけた見せかけのもので、まるでデカールのように表面に貼り付いているだけだからです。だから今は謙虚さを祈り求めています。なぜなら謙虚さは内面から外へと湧き出るものだからです」

- 1928年4月4日~2014年5月28日(86歳没)
- アメリカ合衆国出身
- 詩人、作家、歌手、舞台俳優、公民権運動活動家
英文
”I’m a religious woman. And I feel I have responsibility. I have no modesty at all. I’m even afraid of it – it’s a learned affectation and it’s just stuck on me like decals. Now I pray for humility because that comes from inside out.”
日本語訳
「私は信心深い女性です。そして自分には責任があると感じています。私はまったく謙遜を持っていません。むしろ謙遜を恐れているのです――それは後から学んで身につけた見せかけのもので、まるでデカールのように表面に貼り付いているだけだからです。だから今は謙虚さを祈り求めています。なぜなら謙虚さは内面から外へと湧き出るものだからです」
解説
この言葉は、マヤ・アンジェロウが謙遜と謙虚さの違いを鋭く指摘したものである。彼女は「謙遜」を、社会から学ばされ、表面的に身につけた作為的な態度として批判し、それを「デカール(貼り絵)」にたとえている。一方で、彼女が祈り求める「謙虚さ」は、内面から自然に現れる本質的な姿勢であると区別している。
背景として、アンジェロウは黒人女性としての自己表現を制限される社会に生き、しばしば「控えめであること」を強いられてきた。そうした外部からの圧力としての「謙遜」は、彼女にとって真実の自分を隠す仮面であった。その一方で、信仰を通じて培われる「謙虚さ」は、内面的な誠実さと結びつくものであり、彼女が本当に大切にした価値観であった。
現代においても、この言葉は「謙遜」と「謙虚」の混同を解きほぐす示唆を与える。社会的慣習としての控えめさは自己否定につながることがあるが、内面的な謙虚さはむしろ人を強くし、他者との関係を健全にする。アンジェロウの言葉は、外から押し付けられた態度ではなく、内から湧き出る誠実さこそが本当の謙虚さであると教えているのである。
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