「私たち皆が参加すべき典礼における真の『行為』は、神ご自身の行為である。これこそがキリスト教の典礼における新しく、そして独自な点である。神ご自身が行動し、本質的なことをなさるのである」

- 1927年4月16日~2022年12月31日(95歳没)
- ドイツ出身
- ローマ教皇(在位2005年~2013年)、神学者、枢機卿
英文
”The real ‘action’ in the liturgy in which we are all supposed to participate is the action of God himself. This is what is new and distinctive about the Christian liturgy: God himself acts and does what is essential.”
日本語訳
「私たち皆が参加すべき典礼における真の『行為』は、神ご自身の行為である。これこそがキリスト教の典礼における新しく、そして独自な点である。神ご自身が行動し、本質的なことをなさるのである」
解説
この言葉は、典礼における中心的な主体が人間ではなく神ご自身であることを強調している。多くの宗教儀式が人間の行為や供物に重点を置くのに対し、キリスト教の典礼は神が行動する場として理解される。信徒は単に儀式を行うのではなく、神の働きに参与するのである。
歴史的背景として、ベネディクト16世は典礼神学に深く関わり、「典礼の精神」を著すなど、典礼の本質を説くことに力を注いだ。第二バチカン公会議以後、典礼の参加や共同性が強調される中で、彼はその本質を「人間の演出」ではなく「神の働き」だと再確認することを求めた。ここには、典礼を単なる集会や儀式と見なす傾向への警鐘が含まれている。
現代においても、この視点は重要である。典礼を「神が働かれる出来事」として理解することは、信仰者にとって謙遜と敬虔な態度を生み出す。典礼は人間が神に何かを与える場ではなく、神の恵みを受け取る場であることを忘れずにいることが、キリスト者にとって真の信仰の深まりにつながるのである。
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