「もし16世紀の偉大な宣教師たちが、洗礼を受けない者は滅びると確信していたのが事実であるならば――そしてそれが彼らの宣教への情熱を説明するものであるならば――第二バチカン公会議以後のカトリック教会において、その確信は明確に放棄された」

- 1927年4月16日~2022年12月31日(95歳没)
- ドイツ出身
- ローマ教皇(在位2005年~2013年)、神学者、枢機卿
英文
”If it is true that the great missionaries of the 16th century were convinced that one who was not baptized was lost – and that explains their missionary commitment – in the Catholic Church after the Second Vatican Council, that conviction was definitely abandoned.”
日本語訳
「もし16世紀の偉大な宣教師たちが、洗礼を受けない者は滅びると確信していたのが事実であるならば――そしてそれが彼らの宣教への情熱を説明するものであるならば――第二バチカン公会議以後のカトリック教会において、その確信は明確に放棄された」
解説
この言葉は、カトリック教会の宣教理解の歴史的変化を指摘している。16世紀の宣教師たちは、救いが洗礼を通してのみ可能であるという確信を持ち、そのために命を懸けて宣教に取り組んだ。これは「教会外に救いなし」という伝統的な教理に基づく姿勢であった。
しかし、第二バチカン公会議(1962–1965)は、より包括的で普遍的な救済理解を提示した。そこでは、キリストを知らずに生きる人々に対しても、良心に従って生きるならば救いに与かり得るという見解が強調された。これにより、宣教は恐怖に基づくものではなく、福音の喜びと愛を分かち合う行為として再定義された。
現代において、この変化は宗教間対話と相互尊重の基盤となっている。他宗教や無宗教の人々を単純に「失われた者」と見なすのではなく、共通善を求めて協力する姿勢へとつながっている。この名言は、カトリック教会が歴史的教義を見直し、救いの普遍性と人類への開かれた視野を持つに至った転換点を示している。
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