「内省、すなわち『静寂に座ること』は、心と感覚を生命力によって結びつけられている状態から無理に引き離そうとする、非科学的な方法である。神性への回帰を試みる観想的な心は、生命の流れによって絶えず感覚の方へ引き戻されてしまう」

- 1893年1月5日~1952年3月7日(59歳没)
- インド出身
- ヨーガ指導者
英文
”Introspection, or ‘sitting in the silence,’ is an unscientific way of trying to force apart the mind and senses, tied together by the life force. The contemplative mind, attempting its return to divinity, is constantly dragged back toward the senses by the life currents.”
日本語訳
「内省、すなわち『静寂に座ること』は、心と感覚を生命力によって結びつけられている状態から無理に引き離そうとする、非科学的な方法である。神性への回帰を試みる観想的な心は、生命の流れによって絶えず感覚の方へ引き戻されてしまう」
解説
この言葉は、単なる受動的な内省の限界を指摘している。心と感覚は生命力によって密接に結びついているため、静かに座って思索するだけでは、それを切り離して神に到達することは困難である。観想的な心は神性を目指しても、常に感覚の流れに引き戻される。つまり、真の瞑想には体系的な技法が必要であるという主張である。
背景として、ヨガナンダは西洋に広まっていた「沈黙の瞑想」や受動的観想の手法に対して、ヨガ的瞑想の科学性を強調した。インドのヨガ哲学では、呼吸法や集中法といった生命力を制御する技法(プラーナヤーマなど)を通じて心と感覚を調和させ、魂の解放を目指す。ヨガナンダは、この体系的アプローチを「科学的」な瞑想として紹介したのである。
現代においても、この教えは示唆に富む。瞑想が流行する中で、ただ静かに座るだけでは深い変容は得られないことが多い。呼吸の調整や意識の集中といった具体的な訓練を取り入れることで、心は感覚の支配を超えてより高い次元へ導かれる。この名言は、霊的成長には正しい方法と規律が不可欠であることを教えている。
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