「誰であれ私のもとに来る者は、自らの心にあるものの鏡として私を見る。そこで私は、その人が克服すべき自らの資質を見出せるよう助けようとする」

- 1893年1月5日~1952年3月7日(59歳没)
- インド出身
- ヨーガ指導者
英文
”Whoever comes to me finds me a mirror to whatever is in his heart. Thus, I try to help him to see qualities in himself that he needs to overcome.”
日本語訳
「誰であれ私のもとに来る者は、自らの心にあるものの鏡として私を見る。そこで私は、その人が克服すべき自らの資質を見出せるよう助けようとする」
解説
この言葉は、霊的指導者の役割を鏡の比喩で示している。人は師の前に立つとき、自らの心の状態をそこに映し出す。師は新しいものを与えるのではなく、弟子自身がすでに抱えている課題や資質を気づかせる存在となる。つまり、真の指導とは外的な押しつけではなく、内なる自己認識を促す働きである。
背景には、ヨガナンダが西洋での教えの中で強調した「自己の浄化」の重要性がある。弟子は師を通じて自己を省み、自らの弱さや未熟さを克服する機会を得る。この過程は単なる心理的反映ではなく、霊的成長のための神聖な働きとされている。ヨガナンダは、師と弟子の関係を権威的支配ではなく、鏡映的な学びの関係として描いたのである。
現代においても、この言葉は人間関係全般に当てはまる。親子や友人、師弟の関係は互いに鏡の役割を果たし、相手を通じて自分の課題を知ることができる。特に批判や反発を感じるときこそ、自己の中にある影を見つめ直す機会となる。この名言は、他者を鏡として自己を磨く姿勢が、真の成長につながることを教えている。
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