「瞑想とは、あらゆるものを部分ではなく全体として、完全な注意をもって見る心の状態である。そして誰もあなたに注意深くあることを教えることはできない。もしある体系が注意の仕方を教えるとしたら、あなたはその体系に注意しているのであって、それは注意ではない」

ジッドゥ・クリシュナムルティ(画像はイメージです)
ジッドゥ・クリシュナムルティ(画像はイメージです)
  • 1895年5月11日~1986年2月17日(90歳没)
  • インド出身
  • 思想家、精神的指導者

英文

”Meditation is a state of mind which looks at everything with complete attention, totally, not just parts of it. And no one can teach you how to be attentive. If any system teaches you how to be attentive, then you are attentive to the system, and that is not attention.”

日本語訳

「瞑想とは、あらゆるものを部分ではなく全体として、完全な注意をもって見る心の状態である。そして誰もあなたに注意深くあることを教えることはできない。もしある体系が注意の仕方を教えるとしたら、あなたはその体系に注意しているのであって、それは注意ではない」

解説

この言葉は、瞑想における注意の本質を示している。クリシュナムルティは、瞑想とは対象を部分的にではなく全体的に捉える完全な注意の状態であり、その注意は外部から教えられるものではないと説く。注意は生きた体験であり、模倣や学習によって得られるものではないのである。

ここで批判されているのは、体系化された瞑想法や訓練である。もし注意を「こうしなければならない」と指導されれば、心はその方法に従うことに集中し、体系そのものに縛られる。結果として注意は対象から離れ、自由で純粋な観照が失われる。したがって、注意は方法ではなく、意識が自然に開かれるときに生じる。

現代においても、この指摘は重要である。瞑想が技術やマニュアルとして普及する一方で、そこに依存すると本質を見失う危険がある。クリシュナムルティの言葉は、真の注意は自発的で自由なものであり、外部の体系によって作り出されるものではないと教えており、瞑想の根本的理解を深める指針となっている。

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