「私が属する西方教会では、ビザンチン、ウクライナ、ロシア、あるいはギリシャのカトリック教会のように司祭が結婚することはできない。これらの教会では司祭は結婚できるが、司教は独身でなければならない。彼らはとても優れた司祭である」

- 1936年12月17日~2025年4月21日(88歳没)
- アルゼンチン出身
- カトリック教会第266代ローマ教皇
英文
“In the Western Church to which I belong, priests cannot be married as in the Byzantine, Ukrainian, Russian or Greek Catholic Churches. In those churches, the priests can be married, but the bishops have to be celibate. They are very good priests.”
日本語訳
「私が属する西方教会では、ビザンチン、ウクライナ、ロシア、あるいはギリシャのカトリック教会のように司祭が結婚することはできない。これらの教会では司祭は結婚できるが、司教は独身でなければならない。彼らはとても優れた司祭である」
解説
この言葉は、教会の伝統における司祭の独身制と結婚制の違いについて説明している。西方教会、すなわちローマ・カトリック教会では司祭の独身が原則であるが、東方カトリック諸教会では結婚した男性が司祭になることが認められている。ただし、司教に関しては両方の伝統で独身制が維持されている。教皇はこの違いを認めつつ、結婚している司祭たちをも「とても優れた司祭」と評価している。
背景には、キリスト教内部の伝統の多様性がある。司祭の独身制は西方教会において中世以降強調され、奉仕への全的な献身を象徴するものとされてきた。一方で、東方教会は結婚と聖職を両立させる伝統を守り続けてきた。教皇はこの違いを対立としてではなく、多様な伝統が共存できる豊かさとして語っている。
この名言は、現代社会における柔軟な視点を示している。制度や伝統の違いがあっても、それぞれの立場において誠実に務める人々は尊敬に値する。つまり、形の違いよりも大切なのは奉仕の精神と人間的な誠実さである。この言葉は、宗教的多様性の理解を促すと同時に、共同体の一致を支える寛容さを示している。
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