「私が最も必要としていたのは、愛し、そして愛されることだった。捕らえられることを望んでいた私は、喜んでその痛ましい絆に身を包んだ。そして案の定、私は嫉妬という焼けた鉄の棒で打たれ、疑念と恐れ、怒りの爆発や争いによって打ちのめされた」

- 354年11月13日~430年8月28日(75歳没)
- ローマ帝国(現アルジェリア)出身
- 神学者、哲学者、キリスト教教父、ラテン教父
英文
”What I needed most was to love and to be loved, eager to be caught. Happily I wrapped those painful bonds around me; and sure enough, I would be lashed with the red-hot pokers or jealousy, by suspicions and fear, by burst of anger and quarrels.”
日本語訳
「私が最も必要としていたのは、愛し、そして愛されることだった。捕らえられることを望んでいた私は、喜んでその痛ましい絆に身を包んだ。そして案の定、私は嫉妬という焼けた鉄の棒で打たれ、疑念と恐れ、怒りの爆発や争いによって打ちのめされた」
解説
この言葉は『告白』第3巻に見られる一節であり、若き日のアウグスティヌスが情熱的な愛に溺れ、そこに自ら束縛されていった内面の葛藤を赤裸々に描いている。彼は愛を求める欲求に突き動かされ、自己の魂を試練へと導いた。この愛はただの情愛ではなく、自己充足を求める激しい執着であり、それが結果として嫉妬、疑念、怒りという負の感情に支配される結果を招いた。
このような経験を経て、アウグスティヌスは神の愛と人間の愛との違いを深く理解していくことになる。人間の愛は欲望と自己中心性を伴いやすく、それが苦悩や混乱をもたらす。それに対して神の愛は無償であり、魂を解放する真の安らぎを与えると彼は後に悟る。したがって、この言葉は人間の不完全な愛への警鐘と、霊的な愛への希求の始まりでもある。
現代においてもこの言葉は、愛することの困難さや、感情に翻弄される苦しみを描くものとして強い共感を呼ぶ。愛を求める本能は普遍的であるが、それに伴う痛みや試練もまた避けがたい現実である。この名言は、愛を通して自己を知り、さらに高次の愛に至るための通過儀礼として読むことができる。
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