「私の心は経験から思いを引き離し、感覚的イメージの相反する群れから自らを抜き出して、その身を包んでいた光が何であるかを知ろうとした……そして、ひとすじの急ぎ足の閃光によって、それは『存在するもの』の幻視に達した」

- 354年11月13日~430年8月28日(75歳没)
- ローマ帝国(現アルジェリア)出身
- 神学者、哲学者、キリスト教教父、ラテン教父
英文
”My mind withdrew its thoughts from experience, extracting itself from the contradictory throng of sensuous images, that it might find out what that light was wherein it was bathed… And thus, with the flash of one hurried glance, it attained to the vision of That Which Is.”
日本語訳
「私の心は経験から思いを引き離し、感覚的イメージの相反する群れから自らを抜き出して、その身を包んでいた光が何であるかを知ろうとした……そして、ひとすじの急ぎ足の閃光によって、それは『存在するもの』の幻視に達した」
解説
この言葉はアウグスティヌスの内的神秘体験を記したものであり、感覚世界を超えて真の存在へと至る精神の旅を象徴している。彼は『告白』第7巻で、真理を探求する過程において、外界の喧騒から心を引き離し、魂の深奥に向かって思索を集中させたと述べている。ここで語られる「光」は、神の存在そのもの、すなわち「真理」または「本質的存在」を指している。
アウグスティヌスは、知覚や経験に依存する限り、人は真の存在に到達できないと考えた。彼にとって、「存在するもの(That Which Is)」とは、変化せず、永遠で、完全である神の本質である。魂がそこに一瞬でも触れることができるのは、神の恩寵と知性の閃きによるものであり、人間の努力によって完全に到達できるものではない。
この言葉は現代においても、感覚の多忙さに圧倒される時代に、内省の重要性と霊的集中の価値を示唆している。情報や刺激に満ちた現代社会にあって、自らの思考を沈黙のうちに集中させることで、普段見過ごしている根源的な真理や自己の存在意義を垣間見る可能性があるという点で、この思想は今日にも深い示唆を与えている。
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