「哀れなデイヴィッド・ヒュームは急速に死に向かっている。しかし彼は、どんな泣き言を言うキリスト教徒が神の御心への服従を装って死んだときよりも、はるかに真の快活さとユーモア、そして必然の成り行きへの真の諦観をもって死につつある」

- 1723年6月5日~1790年7月17日(67歳没)
- スコットランド出身
- 経済学者、哲学者、「古典派経済学の父」
英文
“Poor David Hume is dying fast, but with more real cheerfulness and good humor and with more real resignation to the necessary course of things, than any whining Christian ever dyed with pretended resignation to the will of God.”
日本語訳
「哀れなデイヴィッド・ヒュームは急速に死に向かっている。しかし彼は、どんな泣き言を言うキリスト教徒が神の御心への服従を装って死んだときよりも、はるかに真の快活さとユーモア、そして必然の成り行きへの真の諦観をもって死につつある」
解説
この言葉は、アダム・スミスの親友であった哲学者デイヴィッド・ヒュームの最期の様子を描写したものである。スミスはヒュームの死を目の当たりにし、彼が宗教的慰めに頼ることなく、理性とユーモアをもって死を受け入れたと強調している。これは啓蒙時代の哲学者として、信仰よりも理性を重視する態度を示す象徴的な記録である。
当時、死を前にした人間の態度はしばしば宗教的信仰によって支えられるものと考えられていた。しかしスミスの証言によれば、ヒュームはそのような宗教的「偽りの諦観」を必要とせず、自然の必然に従う哲学的態度を示した。これは懐疑主義者であったヒュームの生き方と思想を反映しており、スミスにとっては友人の人間的偉大さを伝えるものであった。
現代においても、この言葉は死生観の多様性を考える上で重要である。宗教的信念によらずとも、人は理性や人間的気高さによって死を受け入れることができるという示唆を与える。スミスの言葉は、親友の最期を通じて、理性と誠実さに基づく人間の尊厳を強調したものである。
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