「青春は、友情の葛藤であります。純粋性を友情に於いて実証しようと努め、互いに痛み、ついには半狂乱の純粋ごっこに落ちいる事もあります」

- 1909年6月19日~1948年6月13日(38歳没)
- 日本出身
- 小説家
原文
「青春は、友情の葛藤であります。純粋性を友情に於いて実証しようと努め、互いに痛み、ついには半狂乱の純粋ごっこに落ちいる事もあります」
解説
この言葉は、太宰治が青春の本質を「友情をめぐる葛藤」として捉えた洞察である。青春期の人間は、友情を通して自分の純粋さを証明しようとし、互いに強く求め合い、時には傷つけ合う。その過程で、純粋さへの過剰な執着が「純粋ごっこ」となり、狂気じみた関係に陥ることさえあると太宰は語っている。
昭和初期の学生文化や青年運動の中では、友情や理想を絶対視する傾向が強かった。太宰自身も学生時代に仲間と共に理想を追い求め、しかし裏切りや失望を経験している。彼はその体験から、友情が人を救うと同時に、過剰な純粋さゆえに人を苦しめるという二面性を鋭く表現した。この言葉には、青春のきらめきと同時に、その危うさを見抜く冷徹さが込められている。
現代においても、この言葉は共感を呼ぶ。青春時代の友情は大人になってからの関係よりも激しく、しばしば理想を押し付け合い、傷つけ合う。相手に「純粋さ」を求めすぎると、友情はむしろ歪んでしまうという太宰の指摘は、若者の人間関係だけでなく、大人の社会にも当てはまる。彼の言葉は、友情や理想を大切にしながらも、それに囚われすぎないことの重要性を示しているのである。
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