「国家とは、支配階級がその階級の敵を抑圧するための機械である。この意味において、プロレタリアートの独裁は他のいかなる階級の独裁とも本質的に異なるものではない」

- 1878年12月18日~1953年3月5日
- グルジア(ジョージア)出身
- ソ連共産党書記長(最高指導者)、ソ連邦大元帥
英文
“The State is a machine in the hands of the governing class for suppressing the resistance of its class antagonists. In this way the dictatorship of the proletariat differs in no way essentially from the dictatorship of any other class.”
日本語訳
「国家とは、支配階級がその階級の敵を抑圧するための機械である。この意味において、プロレタリアートの独裁は他のいかなる階級の独裁とも本質的に異なるものではない」
解説
この名言は、国家の本質を階級闘争の道具と見なすマルクス主義の立場を端的に表している。スターリンはここで、国家とは中立的な存在ではなく、常にある階級が他の階級を抑圧するための機構であると定義している。そして、労働者階級による国家=プロレタリアート独裁も、本質的には他の支配階級による国家と変わらず、抑圧の手段であるという冷徹な現実を認めている。
この見解は、レーニンの『国家と革命』における国家観と通じており、スターリンはそれを実践的に拡張した。プロレタリアート独裁は、資本主義的抑圧の打倒後に、反革命を抑圧し、社会主義建設を進めるための手段として正当化される。ただしここでは、それが他の階級独裁と「本質的に変わらない」とされる点に、イデオロギー的正義よりも、力による支配の現実が優先されていることが示されている。
現代の民主主義的価値観から見れば、この発言は暴力的抑圧を肯定する危険性を孕んでいるが、同時に国家権力がどのように特定の利害を代弁するかという視点を提供する。つまり、国家を倫理的中立や公共善の担い手とする幻想に対し、構造的・階級的な視点から問い直す契機として捉えることも可能である。
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