「鍍金を金に通用させ様とする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である」

- 1867年2月9日~1916年12月9日(49歳没)
- 日本出身
- 小説家、評論家、英文学者
原文
「鍍金を金に通用させ様とする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である」
解説
この言葉は、実力や本質以上に自分を見せかけようとする苦しさよりも、ありのままの自分を受け入れ、その評価を甘んじて受ける方が精神的に楽であるという人生観を述べている。「鍍金を金に通用させ様とする」とは、実際は真鍮でありながら、外見だけ金のように見せかける努力を意味する。それは常に正体を見破られる不安や緊張を伴い、長く続ければ大きな消耗を招く。一方、「真鍮を真鍮で通す」ことは、自分の限界や立場を認め、相応の評価や軽視を受け入れる生き方である。
この発想の背景には、漱石の人間観と虚飾への批判がある。明治期の近代化社会では、学歴や肩書き、外見によって自らを高く見せようとする風潮が強まっていた。漱石は、そうした見栄や虚飾の生き方が、内面的成長を阻害し、精神的な負担になると見抜いていた。自分を偽るよりも、実力を認めてそこから出発する方が健全であるというのが、この言葉の核心である。
現代においても、この指摘は有効である。SNSや経済的競争の中で、実際以上に自分を良く見せようとする行為は珍しくないが、それは持続的負担や自己否定感を伴う。等身大の自分を受け入れ、成長の基盤とすることこそが、長く安定した生き方につながる——この言葉は、その重要性を端的に教えている。
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