「あやふやな柔術使は、一度往来で人を抛げて見ないうちはどうも柔術家なる所以を自分に証明する道がない。弱い議論と弱い柔術は似たものである」

- 1867年2月9日~1916年12月9日(49歳没)
- 日本出身
- 小説家、評論家、英文学者
原文
「あやふやな柔術使は、一度往来で人を抛げて見ないうちはどうも柔術家なる所以を自分に証明する道がない。弱い議論と弱い柔術は似たものである」
解説
この言葉は、理論や技術は実際に使って試してみなければ、その真価も自信も得られないという教訓を述べている。あやふやな柔術家が道場の中だけで稽古を積んでも、実際の場面で投げてみなければ本当に使えるかどうか分からないように、議論も机上の空論のままでは説得力を持たない。つまり、経験による裏付けが必要であるということである。
背景には、夏目漱石の実証主義的な考え方がある。明治期の日本では、西洋の学問や思想が盛んに輸入されたが、その多くは実地での検証や応用が伴わず、観念的に終わることが多かった。漱石は、知識や技術は現実の場で試し、結果を通して確かめるべきだと考えていた。
現代においても、この考えは理論と実践の不可分性として重要である。例えば、プレゼンの技術や交渉術は、書籍や講義で学んだだけでは不十分で、実際の場面で使ってこそ磨かれる。また、プログラミングやデザインなどの技術も、実務経験を経て初めて本物の力となる。弱い議論や未熟な技術は、試練を通して鍛えられることで初めて本物になるのである。
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