「粗密は気質の差によるものである。粗を嫌い密を喜ぶのは各好む所に従うがよい。しかし粗密と純雑とは、自らまた異なっている。純雑は気質の差のみではない。さらに人格の深処に根ざした、我々が一生の一大事である」

- 1892年3月1日~1927年7月24日
- 日本出身
- 小説家、評論家
原文
「粗密は気質の差によるものである。粗を嫌い密を喜ぶのは各好む所に従うがよい。しかし粗密と純雑とは、自らまた異なっている。純雑は気質の差のみではない。さらに人格の深処に根ざした、我々が一生の一大事である」
解説
この名言は、表現や感受性における「粗密(表層の濃淡)」と、「純雑(本質の純粋さと複雑さ)」との根本的な違いを明確にしながら、後者が人間存在にとっていかに重大であるかを説いた深い思想的言葉である。「粗密」は、たとえば文体の濃さや思考の緻密さなど、好みや気質によって選ばれる表現上の違いである。芥川はそれを、各人が自由に選ぶべきものであり、優劣はないと述べている。
しかし「純雑」とはまったく別次元の問題である。これは、人間の内面――人格の深層に根ざす、本質の清らかさと複雑さの絡み合いであり、単なる表現のスタイルではない。芥川はここで、人間としてどのように生きるか、あるいは何を求め、何に苦しむかという根源的な問題として「純雑」の意義を語っている。これは気質や表層的傾向ではなく、その人の魂の問題、一生を通じての問いであると強調している。
現代においても、この名言は深く胸に刺さる。私たちはしばしば表面的な嗜好やスタイルに目を奪われがちだが、芥川は人間の真価は「どのように複雑でありながら、どのように純粋でありうるか」という深層にこそ宿ると語る。これは、芸術においても、人生においても、もっとも誠実で困難な問いに向き合う覚悟の大切さを示す警句であり、一生をかけて深めていくべき人間存在の核心に迫る言葉なのである。
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