「死を予想しない快楽位、無意味なものはないじゃあないか」

- 1892年3月1日~1927年7月24日
- 日本出身
- 小説家、評論家
原文
「死を予想しない快楽位、無意味なものはないじゃあないか」
解説
この名言は、死という限界を意識することではじめて快楽は真の意味と深みを持つという、芥川の厭世的かつ哲学的な人生観を表している。彼は、快楽をただ享受するだけでは、それは空虚で表面的なものでしかなく、死という終焉の影を意識したときにはじめて、人間の感情や行為は深く真剣なものとなると考えていた。死を予想するとは、快楽を刹那的なものとして自覚し、有限の中での価値と美を見出す態度である。
この言葉は、芥川自身の死に対する執拗な思索と、人生における快楽や幸福への懐疑を反映している。彼は日記や書簡、小説の中で繰り返し死への不安を語り、快楽すらもその文脈で測ろうとした。死を忘れた快楽は、ただの麻痺や逃避にすぎず、感覚の充実ではないという厳しい見方がここにはある。これは、享楽的な態度への批判であり、快楽にも覚悟と意識が伴うべきだという倫理的姿勢ともいえる。
現代においても、この名言は深い問いを投げかける。娯楽や消費が氾濫し、快楽の即時的な満足が求められる社会のなかで、その快楽に本当に意味があるのか、死という制限を忘れていないかを省みる必要がある。芥川のこの言葉は、生の深さとは死の影の中でこそ浮かび上がるという、重くも鋭い真実を語っているのである。
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