「一日か二日に一度、私は村へぶらりと出かけて、そこで絶え間なく続く噂話を耳にした。それは口から口へ、新聞から新聞へと伝わり、微量――まるでホメオパシーのような分量で摂取するなら――それはそれで、木の葉のざわめきやカエルの鳴き声のように、ある種の清涼さをもっていた」

ヘンリー・デイヴィッド・ソローの名言・格言・警句(画像はイメージです)
ヘンリー・デイヴィッド・ソローの名言・格言・警句(画像はイメージです)
  • 1817年7月12日~1862年5月6日
  • アメリカ合衆国出身
  • 作家、思想家、詩人、超越主義哲学者、自然と個人主義の擁護者

英文

“Every day or two, I strolled to the village to hear some of the gossip which is incessantly going on there, circulating either from mouth to mouth, or from newspaper to newspaper, and which, taken in homeopathic doses, was really as refreshing in its way as the rustle of leaves and the peeping of frogs.”

日本語訳

「一日か二日に一度、私は村へぶらりと出かけて、そこで絶え間なく続く噂話を耳にした。それは口から口へ、新聞から新聞へと伝わり、微量――まるでホメオパシーのような分量で摂取するなら――それはそれで、木の葉のざわめきやカエルの鳴き声のように、ある種の清涼さをもっていた」

解説

この言葉は、人間社会の些細な営みに対するソローの皮肉と寛容が同時に表現されている一節である。彼は自然の中での孤独と内省を重視していたが、完全に人里を断ったわけではなく、ときおり村に出向いては、人々の話――つまり噂話やニュース――を楽しみながら取り入れていた。ただしそれは「homeopathic doses(ホメオパシーの微量投与)」と表現されるように、ほんの少しで十分だという距離感と批判的視点が込められている。

この態度は、ソローの自然主義と市民生活への距離感を象徴している。彼は自然と対話する生活を選んだが、文明や社会を完全に拒絶していたわけではない。むしろ、それらを過剰に摂取せずに、「風の音」や「カエルの鳴き声」のような自然の一部として捉えることで、人間社会の営みさえも風流に感じる境地に達していた。この名言には、自然と文明の間で絶妙なバランスを取る知恵とユーモアが感じられる。

現代においても、情報や噂が過剰に流れ込む環境の中で、この言葉はそれらを少量にとどめ、自然の音と同じように「味わう」姿勢の大切さを教えてくれる。ソローは、社会から離れすぎず、巻き込まれすぎず、静かに観察する第三の立場の豊かさを、この一節を通して語っているのである。

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