「私は1913年、奴隷制が廃止されてから50年後に生まれました。本を読むことは許されており、教師だった母が幼いころから私に読み方を教えてくれました。最初に通った学校は、小さな建物で、1年生から6年生までが一緒でした。教師は1人で、生徒は年齢もさまざまで、50人から60人ほどいることもありました」

ローザ・パークスの名言・格言・警句(画像はイメージです)
ローザ・パークスの名言・格言・警句(画像はイメージです)
  • 1913年2月4日~2005年10月24日
  • アメリカ合衆国出身
  • 公民権運動活動家

英文

“I was born 50 years after slavery, in 1913. I was allowed to read. My mother, who was a teacher, taught me when I was a very young child. The first school I attended was a small building that went from first to sixth grade. There was one teacher for all of the students. There could be anywhere from 50 to 60 students of all different ages.”

日本語訳

「私は1913年、奴隷制が廃止されてから50年後に生まれました。本を読むことは許されており、教師だった母が幼いころから私に読み方を教えてくれました。最初に通った学校は、小さな建物で、1年生から6年生までが一緒でした。教師は1人で、生徒は年齢もさまざまで、50人から60人ほどいることもありました」

解説

この言葉は、ローザ・パークスが育った教育環境と歴史的背景を伝える貴重な証言である。「奴隷制から50年後に生まれた」という一節は、彼女がまだ制度的差別が色濃く残る時代の中で成長したことを物語っている。そして、「読むことが許された」という言葉には、かつて黒人が教育を受けることすら禁じられていた歴史への痛切な対比が込められている。

また、1人の教師に対して60人近い生徒がいるという状況は、黒人の子どもたちが置かれていた劣悪な教育環境を象徴している。資源も教室も不足する中で、それでも教育を受けようとする姿勢は、学ぶことへの強い意志と希望の力を示している。母親から読み方を学んだという事実は、家庭における教育の重要性と女性の知的役割にも注目させられる。

この名言は、現在の教育環境と比較することで、制度が整っていてもなお乗り越えるべき障壁が存在することに気づかせてくれる。そして、困難な時代にあっても知を得ようとした人々の努力と誇りを思い起こさせる。ローザ・パークスの行動は、こうした原体験の積み重ねによって支えられていたのである。

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