「トルストイがどんなに天才だろうと、暇がなければ『戦争と平和』なんて読めたものではない」

- 1925年1月14日~1970年11月25日
- 日本出身
- 小説家、劇作家、評論家、政治活動家
- 『仮面の告白』『金閣寺』などで戦後日本文学を代表する存在となり、国内外で高い評価を得た。美と死を主題に独自の美学を追求し、最期は自衛隊駐屯地で割腹自殺を遂げた。文学と行動を一致させた生き様で今なお強い影響を与えている。
原文
「トルストイがどんなに天才だろうと、暇がなければ『戦争と平和』なんて読めたものではない」
解説
この言葉は、三島由紀夫が芸術と受容者の条件について率直に語ったものである。どれほど偉大な作品であっても、読む側に余裕や時間がなければ、その価値を享受することすらできないという認識が示されている。ここでは、作品の偉大さと、それを受け取る側の現実的な制約との間にある冷徹な事実が語られている。
三島は、芸術作品を絶対視することなく、芸術とは受け手の時間、精神的余裕、環境などによって初めて実体を持つと考えていた。つまり、いかに天才が生み出したものであっても、それを受容するための条件が整っていなければ、作品は現実の中で空疎なものにすぎないのである。この言葉は、三島が持っていた芸術への敬意と同時に、それを支える現実条件への鋭い洞察を象徴している。
現代においても、この洞察は強く実感される。たとえば、情報過多と多忙が支配する社会において、膨大な読書や深い芸術体験を得るためには意識的な時間の確保が不可欠である。芸術の価値は単に創作の側にあるのではなく、それを受け取る側の時間と精神の豊かさにもかかっている。
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