「閑暇を盗んで時を過ごし、月を詠じ花に心を奪われるようなことでも、もしわずかでも得るものがあるなら、それもまた良いことである」

- 1830年9月20日~1859年11月21日
- 日本(江戸時代・長州藩)出身
- 思想家、教育者、尊王攘夷運動家
- 松下村塾を開いて多くの志士を育成し、明治維新の精神的指導者として知られる。積極的な海外進出と国家改革を訴え、幕末日本の近代化に大きな影響を与えた。志半ばで処刑されるも、その思想は後世に受け継がれた。
原文
「暇を偸み間に投じ、月を吟じ花に迷ふも、苟も得ることあらば則ち亦可なり」
現代語訳
「閑暇を盗んで時を過ごし、月を詠じ花に心を奪われるようなことでも、もしわずかでも得るものがあるなら、それもまた良いことである」
解説
この言葉は、吉田松陰が人生における余暇や娯楽の価値を肯定的に捉えたものである。普段は厳格な学問と修養を説く松陰であるが、ここでは忙しい合間を縫って楽しむ自然や芸術の中にも、得るものがあればそれは意義のある行為であると柔軟な見方を示している。人生を豊かにするには、ただひたすら勉強や仕事に没頭するだけでなく、自然や詩情に心を寄せることも必要であるという深い洞察が表れている。
現代においても、この教えは重要な意義を持つ。効率や成果を重視するあまり、余暇や芸術に価値を見いだしにくい風潮があるが、松陰はそれらがもたらす感性や心の潤い、間接的な学びを肯定している。たとえ直接的な成果に結びつかなくとも、心を豊かにする体験は人生を深めるうえで不可欠であるという教訓である。
例えば、忙しい中でふと立ち止まり、夜空を見上げて月に思いを馳せたり、花を見て心を和ませたりすることは、決して無駄ではない。むしろそうした時にこそ、深い気づきや新たな発想が生まれる。吉田松陰は、人間の営みには理詰めだけではない、豊かな感受性の働きが必要であることを静かに示しているのである。
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