「とにかく我々を敬い、陰でも敵意を抱かないこと。我々がいるところには足を向けず、心を簡潔に保つようにせよ」

- 1534年6月23日~1582年6月21日
- 日本(戦国時代・尾張国)出身
- 武将、戦国大名、政治改革者
- 戦国時代に全国統一を目指して数多くの戦を制し、革新的な軍事戦術と中央集権的支配体制を推進した。楽市楽座政策など経済振興にも力を注ぎ、近世日本の礎を築いたが、本能寺の変で非業の死を遂げた。
原文
「とにもかくにも、我々を崇敬して、影後にても、あだに思ふべからず。我々ある方へは足をもさゝざるやうに、心もち簡要に候」
現代語訳
「とにかく我々を敬い、陰でも敵意を抱かないこと。我々がいるところには足を向けず、心を簡潔に保つようにせよ」
解説
この言葉は、織田信長が家臣や周囲の者たちに対して、自らへの忠誠と礼節を厳格に求めた姿勢を示している。戦国時代においては、主君に対する忠義は絶対であり、たとえ表面上で敬っていても、陰で謀反の意志を持つことは大罪であった。この発言は、信長が単なる表向きの忠誠では満足せず、心の底からの服従を要求していたことをよく表している。
信長の生きた16世紀の日本は、下克上が横行し、油断すればすぐに裏切られる混乱の時代であった。その中で、信長は組織をまとめるため、こうした強い警戒心と統率力を必要としたのである。彼の迅速な決断力や徹底した管理主義は、このような厳しい命令にも表れており、家中を緊張感のあるものに保った。
現代においても、この言葉は組織における信頼関係の重要性を教えてくれる。上司やリーダーへの忠誠心だけでなく、陰で不満を募らせない精神のあり方が、チームや企業の健全な運営に不可欠である。たとえば、プロジェクトチームにおいてリーダーに対する表裏のない態度を貫くことが、最終的に成果に直結することを思えば、この信長の言葉は今日にも通じる普遍的な教訓である。
感想はコメント欄へ
この名言に触れて、あなたの感想や名言に関する話などを是非コメント欄に書いてみませんか?
申し込む
0 Comments
最も古い