「無駄な言葉に責任を持たねばならぬように、無駄な沈黙にもまた責任を持たねばならない」

- 1706年1月17日~1790年4月17日
- アメリカ合衆国出身
- 政治家、発明家、科学者、著述家
- アメリカ独立戦争で重要な役割を果たし、アメリカ合衆国の建国の父の一人として知られる。電気に関する研究で著名な発明家であり、定常波や避雷針の発明者。外交官としても活躍し、フランスとの友好条約締結に尽力した。
英文
“As we must account for every idle word, so must we account for every idle silence.”
日本語訳
「無駄な言葉に責任を持たねばならぬように、無駄な沈黙にもまた責任を持たねばならない」
解説
この名言は、言葉を慎むことの重要性と同時に、沈黙することの責任についても深く問いかける警句である。ベンジャミン・フランクリンは、慎み深さと発言の節度を重んじる一方で、語るべきときに沈黙することもまた罪であり得るという、バランスの取れた倫理観を持っていた。この言葉は、言葉だけでなく沈黙もまた行動の一形態であり、そこに伴う結果や責任から逃れることはできないという認識を示している。
現代社会でも、沈黙は時に賢明であるとされるが、不正や差別、暴力、誤解が存在する場面で何も言わないことは、加担に等しい場合がある。例えば、いじめやハラスメント、政治的不正義の場面において、沈黙は傍観者ではなく共犯者と見なされることもある。この名言は、発言しないこともまた選択であり、その選択には道義的責任が伴うことを厳しく指摘している。
この言葉にはまた、道徳的な沈黙と怠惰な沈黙の違いを見極めるべきというフランクリンの倫理的な姿勢が込められている。彼は、言葉に慎重であることを美徳としながらも、語るべきときに語らぬ者には同じだけの責任があると考えた。**「語る自由」と同時に「語らぬ責任」も問うこの一文は、沈黙が常に美徳とは限らないという、深い洞察を私たちに突きつける名言である。
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