「兄たちは皆、それぞれ異なる職業の徒弟に出された。私は八歳で文法学校に入れられ、父は私を息子たちの什一(じゅういち)として教会に捧げようとしていた」

- 1706年1月17日~1790年4月17日
- アメリカ合衆国出身
- 政治家、発明家、科学者、著述家
- アメリカ独立戦争で重要な役割を果たし、アメリカ合衆国の建国の父の一人として知られる。電気に関する研究で著名な発明家であり、定常波や避雷針の発明者。外交官としても活躍し、フランスとの友好条約締結に尽力した。
英文
“My elder brothers were all put apprentices to different trades. I was put to the grammar-school at eight years of age, my father intending to devote me, as the tithe of his sons, to the service of the Church.”
日本語訳
「兄たちは皆、それぞれ異なる職業の徒弟に出された。私は八歳で文法学校に入れられ、父は私を息子たちの什一(じゅういち)として教会に捧げようとしていた」
解説
この一節は、ベンジャミン・フランクリンの自伝に記された彼の少年時代の記録であり、当時の家族観や進路観をよく表している。彼の父は多くの子を持っていたが、フランクリンだけを文法学校に通わせ、一家の中の「十分の一(tithe)」として宗教的奉仕に充てようと考えていた。これは、教会への献納という中世以来の慣習に倣ったものであり、宗教的な義務と家族の期待が絡み合った選択であった。
当時のイングランド系植民地社会では、教育を受けられる子は限られており、職業訓練(徒弟制度)と学問の道は明確に分かれていた。兄たちは実用的な仕事に進む中、フランクリンが文法学校に入ったことは、父の彼に対する特別な期待と、高い知性への評価を物語っている。しかし実際には、経済的な事情により彼の学業は短期間で中断され、その後は独学によって知を深めていくことになる。
この言葉は、生まれや家族の意図を超えて、自らの道を切り開いたフランクリンの人生の起点を示している。宗教家になるはずだった少年が、後に科学者、外交官、そして建国の父となることを思えば、人生の初期の選択がすべてではないという教訓をも与えてくれるのである。
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