「恩知らずであるのは他人の過ちだが、与えないのは私自身の過ちである。感謝する人を一人でも見つけるために、私は多くの恩知らずにも施すつもりだ」

- 紀元前1年頃~紀元65年
- ローマ帝国出身
- 哲学者、政治家、劇作家、倫理思想家
- ストア派哲学の代表的人物として知られ、道徳と内面の自由を重視する思想を展開。皇帝ネロの教育係を務めた後、政治から退き著述に専念し、多くの書簡や悲劇作品を通じて後世の倫理思想やキリスト教思想にも影響を与えた。
英文
“It is another’s fault if he be ungrateful, but it is mine if I do not give. To find one thankful man, I will oblige a great many that are not so.”
日本語訳
「恩知らずであるのは他人の過ちだが、与えないのは私自身の過ちである。感謝する人を一人でも見つけるために、私は多くの恩知らずにも施すつもりだ」
解説
この言葉は、善行は見返りを求めず、自らの徳に従ってなされるべきであるというストア派の倫理観を、セネカが力強く表明したものである。彼は、他人が感謝するかどうかは制御できないが、与えるという選択は自分の意志に属するものであり、それを怠ることこそが真の過ちであると考えていた。つまり、他者の反応ではなく、自分の行為に責任を持つ姿勢が真の徳の実践であるという信念が表れている。
セネカの生きたローマ社会では、贈与はしばしば取引的で、見返りや評価を目的とすることが多かった。しかし彼は、徳に基づいた贈与は相手の徳や反応に関係なく、それ自体で価値ある行為であると説いた。さらに、多くの人が恩を忘れても、ただ一人でも誠実に感謝する者がいれば、それだけで十分に与える価値があるという、崇高な寛容精神をこの名言に込めている。
現代においても、与えた行為が報われないことに失望することは多い。しかしこの名言は、善意とは相手の応答によって決まるものではなく、自分がどうありたいかに基づく行動であると教えてくれる。他者の感謝を期待するのではなく、自己の品性を高めるために施すことが、最も純粋な善行であるというセネカの哲学は、時代を超えて尊重される倫理的原則である。
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