「たとえ劣った著者であっても、その一節が優れていれば、引用することを私は決して恥じない」

- 紀元前1年頃~紀元65年
- ローマ帝国出身
- 哲学者、政治家、劇作家、倫理思想家
- ストア派哲学の代表的人物として知られ、道徳と内面の自由を重視する思想を展開。皇帝ネロの教育係を務めた後、政治から退き著述に専念し、多くの書簡や悲劇作品を通じて後世の倫理思想やキリスト教思想にも影響を与えた。
英文
“I shall never be ashamed of citing a bad author if the line is good.”
日本語訳
「たとえ劣った著者であっても、その一節が優れていれば、引用することを私は決して恥じない」
解説
この言葉は、知の価値はその出所ではなく内容にあるという哲学的立場を明快に示している。セネカは、真理や洞察はどこから現れるか分からないと考えていた。もし一つの言葉が心に響き、知恵をもたらすものであるなら、それが誰のものであれ尊重されるべきである。価値ある思想は、その著者の名声や道徳性によって決まるものではないという考えが、この言葉には込められている。
古代ローマの知識人たちは、ギリシャ文学や過去の著作を広く引用し、対話を通じて学問を深めていた。しかし時に、評判の悪い人物や思想的に誤ったとされる著者の言葉をどう扱うかが議論の的となった。セネカはそれに対して、思想の純度は引用元ではなく、その言葉の真理性によって測られるべきだと主張したのである。これはストア派の、理性と本質を重んじる価値観に通じる。
現代においても、情報の出所や発言者の経歴ばかりが重視され、内容の真偽や価値がなおざりにされる風潮がある。この名言は、本当に大切なのは「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」であるという普遍的な基準を思い出させてくれる。思想の自由と知的誠実さを守るためにも、偏見を捨て、良い言葉を見極める目を養うことが求められている。
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