「正義を伴わぬ知識は、知恵というよりも狡猾さと呼ばれるべきである」

紀元前106年1月3日~紀元前43年12月7日
ローマ共和国出身
政治家、弁護士、哲学者、雄弁家
共和政ローマを代表する弁論家・思想家として知られ、ラテン文学とローマ法の発展に多大な影響を与えた。政治的混乱の中で共和政の理想を擁護し、著作を通じて西洋政治思想と修辞学に大きな遺産を残した。
英文
”Knowledge which is divorced from justice, may be called cunning rather than wisdom.”
日本語訳
「正義を伴わぬ知識は、知恵というよりも狡猾さと呼ばれるべきである」
解説
この言葉は、知識や知性が道徳的基盤を欠いたとき、それは真の知恵ではなく、利己的で危険な狡知に成り下がるというキケロの倫理哲学を鋭く表した格言である。彼は、知識(scientia)や学識がどれほど優れていても、それが正義(iustitia)と結びついていなければ、社会に対して有益ではなく、むしろ有害なものとなりうると警告している。つまり、知の価値は、それが善のために使われてこそ本物であり、目的を持たぬ知識は道徳的に中立ではなく、悪にも転じ得るという強い倫理的認識が込められている。
この思想は、キケロが『義務について(De Officiis)』で繰り返し説く、「知恵と正義の結合」こそが徳ある行動を生み出すという主張に一致している。彼にとって、真の知恵(sapientia)とは、単に事実を知ることではなく、それを倫理的に用いる能力であり、社会と個人に対して正しい影響を及ぼす知性の在り方である。したがって、正義なき知識は、単なる「策士の術」でしかない。
現代においてもこの格言は、政治、ビジネス、科学、技術などの分野における倫理の問題と深く関係する。知識や技術の発展が人間や社会にどのような影響を与えるかを考慮せず、利己的・権力的に運用されるとき、それは知恵ではなく策略であり、社会を破壊しかねない。キケロのこの言葉は、知の運用における倫理の重みを忘れてはならないという、時代を超えた警告であり、真の知性とは正義と結びついてこそ尊ばれるべきものであることを教える不朽の名言である。
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