「人の魂が不滅であると信じることにおいて、もし私が誤っているのだとしても、私は喜んでその誤りに身をゆだねる。生きているかぎり、私に喜びを与えてくれるこの誤りを誰にも取り上げられたくはない」

紀元前106年1月3日~紀元前43年12月7日
ローマ共和国出身
政治家、弁護士、哲学者、雄弁家
共和政ローマを代表する弁論家・思想家として知られ、ラテン文学とローマ法の発展に多大な影響を与えた。政治的混乱の中で共和政の理想を擁護し、著作を通じて西洋政治思想と修辞学に大きな遺産を残した。
英文
”If I err in belief that the souls of men are immortal, I gladly err, nor do I wish this error which gives me pleasure to be wrested from me while I live.”
日本語訳
「人の魂が不滅であると信じることにおいて、もし私が誤っているのだとしても、私は喜んでその誤りに身をゆだねる。生きているかぎり、私に喜びを与えてくれるこの誤りを誰にも取り上げられたくはない」
解説
この言葉は、魂の不滅という信念が真実であるかどうかにかかわらず、それを信じることによって得られる慰めと希望が、人生においていかに大きな意味を持つかを語ったキケロの内面的告白である。彼は、理性を重んじる哲学者でありながら、魂の永遠性という教義に対して完全な確証を持てないまま、それでもなお信じたいという心の姿勢を、この言葉の中に込めている。
この考え方は、キケロの対話篇『老年について(Cato Maior de Senectute)』や『スキピオの夢(Somnium Scipionis)』に顕著であり、魂が死後も存続し、善をなした者にふさわしい報いが与えられるという考えが、老いと死に向き合う精神の支えとなるという倫理的・感情的側面が重視されている。ここでの「誤り」とは、合理主義の限界の中でなお、道徳的希望を手放さないという人間らしい選択である。
現代においても、この言葉は宗教的信仰だけでなく、希望や意味を見出す行為そのものの価値を考えるうえで示唆に富む。たとえば、科学的根拠に立脚せずとも、人間の尊厳や生の意義を支える信念が、人に安心と強さを与えることがある。キケロのこの言葉は、理性と信仰のはざまで生きる人間の姿を深く捉え、信じるという行為が持つ力と美しさを静かに称えている。
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