「まるで自分がチェスの駒であり、相手がそれを指して『この駒は動かせない』と言っているような気分だ」

- 1813年5月5日~1855年11月11日
- デンマーク出身
- 哲学者、神学者、作家
- 実存主義哲学の先駆者として知られ、「主体的真理」や「信仰の飛躍」といった概念を提唱。個人の内面的な葛藤と信仰の問題を深く掘り下げ、近代思想に大きな影響を与えた。
英文
“I feel as if I were a piece in a game of chess, when my opponent says of it: That piece cannot be moved.”
日本語訳
「まるで自分がチェスの駒であり、相手がそれを指して『この駒は動かせない』と言っているような気分だ」
解説
この言葉は、無力感と制約された存在に対する深い実存的感覚を描いている。キェルケゴールは、自らをチェス盤の駒になぞらえ、他者によって動きを封じられた状態を表現している。それは、自由に生きたいという欲求と、それを阻む力とのあいだで引き裂かれる人間の姿そのものである。
彼の思想において、自己とは主体的な選択によって形作られるものであり、他者の評価や社会の枠組みによって規定されるべきものではない。しかし現実には、人はしばしば外的な力――制度、文化、他人の期待――によって「動かされることも、動くこともできない存在」として感じられる瞬間がある。この名言は、そのような存在の拘束感を象徴的に表現し、自由とはいかに困難であるかを示している。
現代社会でも、人間関係、社会的立場、経済的状況などによって「動けない」と感じる場面は多い。この言葉は、そうした感覚に名前を与えるとともに、自由とは自明ではなく、意志と勇気によって切り開かれるべきものであるというキェルケゴールの一貫したメッセージを反映している。動かせないとされた駒に、なおも意志があることを忘れてはならない。
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