「私は罪の中で生き、自らを殺すために生きている。もはや私の命は私自身のものではなく、罪のものとなった。私の善は天から与えられ、私の悪は私自身から、私の自由意志によって生じるが、その自由意志は奪われている」
- 1475年3月6日~1564年2月18日
- フィレンツェ共和国(現イタリア)出身
- 彫刻家、画家、建築家、詩人
- 『ダビデ像』や『ピエタ』、『システィーナ礼拝堂の天井画』など、ルネサンス芸術を代表する傑作を数多く制作した
英文
“I live in sin, to kill myself I live; no longer my life my own, but sin’s; my good is given to me by heaven, my evil by myself, by my free will, of which I am deprived.”
日本語訳
「私は罪の中で生き、自らを殺すために生きている。もはや私の命は私自身のものではなく、罪のものとなった。私の善は天から与えられ、私の悪は私自身から、私の自由意志によって生じるが、その自由意志は奪われている」
解説
この言葉は、ミケランジェロが抱えた深い宗教的葛藤と自己認識を反映している。ルネサンス期は、人間の自由意志と神の恩寵の間にある緊張関係が頻繁に議論された時代であり、ミケランジェロもその影響を受けた。「罪の中で生きる」とは、神からの理想的な存在から遠ざかり、自己の限界や過ちを認識しながらも、それを克服できない状態を指している。この言葉には、救済を求めつつも、自己責任への重い自覚が込められている。
さらに、彼は善悪を明確に分け、善は神から与えられるものであり、悪は自らの選択と行動に起因すると述べている。この視点は、自由意志に対する疑念を示唆している。「自由意志を奪われている」という表現は、人間が自己の罪や弱さによって本来の自由を失うという神学的な考えに通じる。ミケランジェロの作品の中でも、特に「最後の審判」には、このような救済と罪の葛藤が強く反映されている。
現代において、この言葉は人間の本質的な矛盾と向き合うヒントを与えてくれる。自らの限界や過ちを認識しつつ、それを克服しようと努力する姿勢は、個人の成長や精神的な成熟の鍵となる。ミケランジェロのこの言葉は、自己理解と救済への道を探るための普遍的なメッセージを伝えている。
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