「守銭奴は狂気に陥った資本家に過ぎないが、資本家は理性的な守銭奴である」
- 1818年5月5日~1883年3月14日
- プロイセン王国(ドイツ)出身
- 哲学者、経済学者、政治思想家
- 資本論を著し、社会主義・共産主義思想の基礎を築いた
英文
“While the miser is merely a capitalist gone mad, the capitalist is a rational miser.”
日本語訳
「守銭奴は狂気に陥った資本家に過ぎないが、資本家は理性的な守銭奴である」
解説
この言葉は、カール・マルクスが守銭奴と資本家の類似性と違いについて述べたものである。彼は、守銭奴が自己の財産を蓄えることに取り憑かれたような存在である一方、資本家は理性的に財産を増やす手段として資本の蓄積を行っていると考えた。つまり、資本家は守銭奴と同様に富を追求しているが、彼らの行動は合理的かつ体系的であり、資本主義の仕組みに基づいた戦略的なものであるとされる。
この視点は、現代の資本主義社会においても富の蓄積が目的化する傾向を指摘している。資本家が富を増やし続ける理由は、単なる個人の欲望ではなく、資本主義経済の中で生き残るための合理的な行動とされる。マルクスの視点からは、資本家の「理性的な守銭奴」的な行動が資本主義の根本的な構造を支えていると考えられる。
具体例として、企業が利益を再投資してさらなる成長を目指す行動が挙げられる。この行動は、企業が市場競争で生き残り、収益を拡大するために行うものであり、個人の単なる欲望とは異なる。マルクスのこの言葉は、資本主義の中で富が合理的に追求されるプロセスがあることを示しており、資本家の行動が個人の欲望を超えた経済的・社会的な意義を持つことを暗示している。
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